2026年4月11日

Just dance for no reason, dance with each other for no fucking reason by people. I think that, like, there's too much platforms now that, like, when there's just music, people just don't dance. They're waiting to have a countdown. They're waiting, like, to register somewhere. Like, it's almost like you need to have an authorization to dance, but we're all talking about how something that is free, something that, like, is our own expression. But when the music place, we wait. We wait to be called to perform. So so I think I I think it goes back to the why, and I think that, like, no matter what you're doing in life, the why is always important. Always, always important.

理由なんてなくていい、ただ踊れ。

みんなで、理由なんてなくていいから踊れ。

今はプラットフォームが多すぎると思う。

音楽が流れているだけだと、人々はもう踊らない。

カウントダウンを待っている。

どこかに登録するのを待っている。

まるで踊るのに許可が必要みたいに。

でも私たちが話しているのは、本来自由なもの、自分自身の表現であるはずのものの話だ。

なのに音楽が流れても、私たちは待ってしまう。

「パフォームしてください」と呼ばれるのを待ってしまう。

だから結局、「なぜ」という問いに戻ると思う。

人生においてどんなことをするにしても、

「なぜ」は常に大切だと思う。いつだって、いつだって大切なんだ。

まさに核心を突いていると思います。

ダンスをめぐるインフラそのものが、ダンスの自由を逆に制約してしまっているということですよね。

プラットフォーム、登録、許可を待つ姿勢

……本来は自然発生的で自由なはずのものが、承認を必要とするものに変わってしまっている。

「なぜ」という問いについても、本当にそうだと思います。

そこが核心ですよね。人が最初からなぜ動くのか——ただ喜びのために、つながりのために、

表現のために——そこと切り離されてしまったとき、外側の構造はすべて空虚に感じられ始める。

カウントダウンが、本来の衝動の代替品になってしまう。

これは、私が日本に帰国して違和感を感じたことです。

けれど、私も日本で生まれて育ったわけですから、なんでそんなことになっているかも理由がわかるわけです。

その日本人だった私が、ヨーロッパで5年やアフリカで2生活して、久しぶりに日本に帰国したら

違和感を感じる・・・つまり、私自身が変わったから日本の違和感を感じられるようになったわけです。

けれども・・・

もしかしたら、それは、どこの国でも起きているのかも知れませんね。

私を育ててくれたヨーロッパのダンスコミュニティーが

あまりにも恵まれていたんだと気づきました。

実際、このClaraもいました。