Music First 

未熟なわたしたち

真のミュージカリティを体得し、体現することを目指しています。

「音楽を踊る」ことと、「カウントで踊る」こと、

カウント、

それを“音楽そのもの”と錯覚してはいけない。

カウントを数えながら動くとき、人は音楽を感じていない。

聴いているのではなく、数えている。

何をしよう?

カマしてやろう、ハメてやろう、と

その完璧さを「音楽的」と信じている。

だがそれは、拍と拍の「間」にある躍動や呼吸、揺らぎを無視する行為だ。

音楽の流れから、身体は切り離されてしまう。

ただの、単なる動きでしかない。

音楽とは、不正確さを含んだ生き物だ。

完璧ではなく、未熟な姿で生きている。

テンポの揺らぎ、期待と裏切り。

その“出来事としての時間”に触れる感受性こそ、

ダンサーに求められる音楽性だ。

カウントに忠実でも、温度や深度(しんど)に触れられなければ、

それは踊りではなく、ただの反復運動だ。

ダンサーに必要なのは、“聴く力”だ。

静けさ、崩れかけた間合い、予測不能な裂け目に身を投げ出すこと。

コンフォートゾーンを抜ける瞬間、

そこに、音楽と身体が重なる瞬間がある。

これは、シンクロではなく、調和

正確さではなく、共鳴を。

拍ではなく、間を。

ルールではなく、出来事を。

耳を澄ますべきは、その予測不能な「いま」なのだ。

だから完璧を目指すのではなく

未熟であることを味わい楽しむ力が

踊るチカラのあるダンスアーティストだと思う。

どれだけ音を聴けるか、傾聴できるか

心の耳、五感、六感を使って、

目に見えない波動や振動を心で感じれるか

心が震えるか、音の振動を味わう

動くカラダから、感じるカラダへの提案

毎日の生活の中で、どれだけ自分の本音、心の声、カラダの声に

耳を傾けることができるか

そして、周囲の人々の心の声に耳を傾け

本音で向き合うことができるか

交わる、感じる

「傾聴力」を育てなければならない 

言語化が苦手、フリースタイルが苦手と言っている方の多くは、

聴く前に動こうとしている

聴く前に言語化しようとしている

だから聴けないのだ。

私自身もそんな自分に気づいてから

いろんなことが腑に落ちて。

動く、動かそうとするのではなく

‘’聴く’’

ただ耳を澄ませて聴く

そして感じる

これがはじまりだ。溢れてくるのだ。

Music First 

真のミュージカリティを体得し、体現することを目指して

今日も自分のために、自分を喜ばすために踊ります。