Musicality is a musician term not a dancer's team 

「Musicality はミュージシャンの用語であって、ダンサーの用語ではない」

アメリカ人のPoppingダンサーからこんなコメントが入りました。

これについてあたなはどう思いますか?

私たちの考えはこうです。🔻

🔹1. 音楽性(Musicality)は本来ミュージシャンの概念?

確かに「musicality(音楽性)」という言葉は、元々は演奏家・作曲家の世界で「音楽をどれだけ深く理解し、表現できるか」という能力を示すものとして使われていました。

音の強弱、リズム、間、フレージングなど、楽譜に書かれていない“音楽の呼吸”を汲み取る力ですね。

🔸2. ダンサーも音楽を「身体で演奏する」存在

一方で、ストリートダンスやコンテンポラリーダンスの世界では、「musicality」は非常に重要な能力とされています。
特にHIPHOPやPOPPING、WAACKINGなど即興性が重視されるダンスにおいては、「音楽をどれだけ深く感じ取り、

それを身体でどう表現するか」がそのまま個性や評価に直結します。

🔹3. ミュージシャンとダンサーの「musicality」は違うのか?

・ミュージシャンのmusicality:音を「創る・鳴らす」側の音楽性
・ダンサーのmusicality:音を「感じ、身体で翻訳する」側の音楽性

確かにスタート地点は違いますが、音楽の理解と再解釈という意味では、どちらも「音楽性」を扱っているのは間違いありません。

🔸4. 結論:musicalityは「誰のもの」か?

「musicalityはミュージシャンのものであって、ダンサーのものではない」という考えは、ある意味で音楽を“演奏者に限定する”視点です。
でも実際は、音楽と関わる全ての表現者にとって「musicality」は共有された重要な要素です。

私たちの意見(まとめ)

musicality は、ミュージシャンだけの言葉ではなく、ダンサーにとっても極めて重要な感性の一部。
むしろ音楽に深く反応できるダンサーこそ、ダンスを芸術に昇華させる存在だと思います。

以上、ダンサーは、複雑に考えすぎだと、まるで考えることがいけないこと、複雑にするというように誤解されるということが

よくあります。

そんな中、我々は、熟考するという選択にチャレンジしています。

考えない選択もありだと思う。

けど、だから多くのダンサーが、教えてもらう場所から出口の見えないままなんだと、私たちは思います。

音楽が我々ダンサー、ダンスアーティストの先生であるように、私の先生は私。

セルフヘルプ力を養う力を自分自身で育み、才能を発揮することができるか、できないかは今目の前の「選択」次第。

熟考する機会をいただけたことに感謝!

また成長させてもらえたな〜と思います。

「言語化させるとダンスが遠くなってゆく」とか

「口では簡単ってやつですね〜」とか、「ダンスはもっとシンプルなものだ、みんな複雑に考えすぎだ」とか、よく耳にします。

そう思う人の選択であって、それを否定しているわけではありません。

ただ、私たちはそうではない。

言語化し、深掘りすればするほどに、複雑だったものが、整理整頓され、シンプルに明らかになってゆく。

「正解」が見えてくるんです。

おそらく、、、、「言葉にするとダンスが遠くなる」とか、

「複雑に考えることはない」とおっしゃっている方々は、その複雑さから抜け出すほどに考えていないのだと思います。

答えが出るまで、何年も、何十年もかけて考え続けてきたから言えること。

理想を叶える力は、言語化とイメージです。だから、ダンスが遠く離れてゆくはずがない。

なぜ熟考することにチャレンジするのか? ダンス愛に溢れているからです。もう、やめられないです笑。